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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

名医と藪医者、どちらを選ぶ? 教員や学校も同じことである。

能力差とか


教員が相変わらずばたばたとしている。その割りに効果が上がってない。
この状況を変えるには、教員が、自分の能力に自信を持ち、仕事の範囲内は確実にクリアできるという自信を持つべきである。
でなければ、常に不安で、毎日に余裕がなく、その結果、子どもにもよい影響を及ぼさないだろう。

自信のない教員は、細々した教員根性どっぷりの教員は、いつもいらいらと余裕がなく、時間の使い方が下手で、体力と気力の限界近くまで動き回って、ようやく安心する。 
一生懸命にやっているというポーズを、自分の能力不足の免罪符として、ただ、忙しくばたばたと毎日を過ごす。


それでは困る。だから、ほとんどの教員を、いますぐ交換せよ、とは言わない。そんなこと、できるわけがない。


「決められた範囲内を確実にこなす。それ以外は関知せず」の意識を強く持たせなければ解決しない。できるだけのことをやらせていただきます、では、それはボランティアである。素人である。


ボランティアは、どこか甘えが出る。


こんなに時間をかけたのだから、これほど気にかけているのだから、ああしたから、こうしたから、と泣きべそかきながらの逃げ口上である。



一生懸命やってくれなくてもいい。
一流の執刀医が、普通どおりやって手術を成功させるほうが、藪医者が懸命にやって患者を死なすよりは、よほどいいわけである。

教員は、医者とは違うというのか。


違うものか。


違いは出身学部と収入だけである。
両者とも、人間を相手にして、その人間の将来にかかわる仕事である。

だから、医者に、名医と藪とがいるように、力をつけることのできる教員とそうでない教員とがいるのである。その区別をはっきりつけておかないと、ピンもキリも一緒にされる。挙句、馬鹿にされて、さげすまれ、こき使われるようになる。


教員の能力差は厳然とある。学校間の学力差、人間個々人の能力差も、明確にある。
何事も差異があるからこそ、幸福である。みんな同じなら、この世の地獄である。社会体制として、その分かりやすい例を、われわれはソ連やチャイナに見たはずである。

差異、区別、選択、能力別、競争試験。これが、治まる御代である。
きれいごとを並べ立てて、評価の基準にするのではなく、実際に児童生徒学生に力をつけることができたかどうかが、教員の能力の判断基準である。