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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

勉強しない子は、覚悟しておけ。能力・努力の差が、貧富を決める格差社会になる。


日に日に、教育現場の環境は変わる。いい方にならいいのだが、多くは、悪い方に変化する。

子どもや親の傍若無人、児童生徒の低学力の放置、お粗末至極な教科書、教育事務所職員の若返りから来る頼りなさ、低予算からくる学校施設の貧弱さ、教員の長い勤務時間とそれに比例する効率の悪さ、一部マスコミ受けする広告塔教員のお調子ぶり、不景気で荒(すさ)む親の精神、その影響を受けた子どもの気持ちの荒み、教員のますますの余裕のなさ、定見がなく、その場しのぎが目立つ文科省の腰抜け連中の増大等々。
良いことは、なかなか見つからない。

学校現場では、いまでも、近隣諸国への迷惑だの、子どもの人権宣言だの、同和の精神はどうしただの、チマチョゴリ万歳だの、各種各様の運動にご熱心な教員が多くいるのだろうか。多分、地下に潜んでいるのだろう。時勢が悪くて表に出さないだけで、風向きが変われば、いつなんどき噴出するかわからない。

児童生徒も油断できない。個々の子供の能力の差違は、遠からず階層の差違となる。
公立中学を手始めに学校はすべて自由選択性になる。どれを選んでも、どうせ公立校だ、大した違いはないだろうが、小さな一歩はそのうちに大きな亀裂となる。遠慮のない大競争がやってくる(ついでに言えば、東京大学の解体が必要だ。理由は、ご存知のとおりである)。


いつまでも、「私は思いやりを第一に教えています」では、だめである。きれい事を全面に出していさえすれば免罪符の、そんな呑気な時代はおわった。


親に言っておく、ついでに子どもにもよく言っておけ。


能力優先の時代。建前ではなく、本音の時代は、もうそこに来ている。
勉強のできる子ども(勉強をする子ども)と、できない(しない)子どもとは、もうそれだけで、違うのである。


これはあたりまえだが、今までは、そして今でも、このことを面と向かって言えなかった。嘘つきになるしかなかった。
しかし、明日からは当たり前になる時代が来るかもしれない。能力で振り分ける時代がくるかもしれない。


その是非を言うのではない。遠からずそうなる、と警告しているのだ。