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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

みんな同じわけがない。「平等信者」の恐ろしさ。

小学校教員


いまどき、人間の能力がみな平等である、と、まじめに信じている人はいるまいが、どうやら教育の世界だけは、平等大好き人間が多い。

「がんばれば、できるようになる」は、教員間でも親たちにも、なるほど受けのいいかけ声である。
しかし、当の子供たちはだれもそんなことを信じてはいない。

算数・数学や国語や体育や図画工作・美術、あるいは音楽など、誰が得意で誰が不得手か、クラスメートもよく知っているし、何より本人が一番よくわかっている。

制度的なことはともかく、容姿容貌学力その他の資質、能力のどれ一つを取ってみても、なにひとつ平等であることなんてない。
要するに個人が生まれ持ったもの、またこれまでの生きてきた経験の結果として、平等なわけがないのである。

学校教育を「平等」が支配すると、学級や学校全体の児童生徒学生のレベルを引き下げて、日本人の学力の低下、やがては日本の国力そのものを引き下げる。


 


だからこそ、教員やマスコミは平等信者なのである。ポルポト並みである。

違いは認めるしかない。
悔しいけれども仕方がない。仕方がない中で、悩んだり努力したりして、そこに進歩や発展がある。
「みな同じ、平等に、仲良く」というわかりやすく、低俗なキャッチフレーズは、すべてを狂わせる。

少なくとも建前としては、「みんな同じ」が大好きだった社会主義国をみるがいい。散々なことになってしまっている。
みな違う、そこから始めよう。