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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

教員の謝罪は、親の喜びである。

物わかりのいい親たち


教員に対して、子どもの親が、「あれはどうなんでしょう」
「何々についてはどうかと思いますが」「うちの子の言うことなんですが、先生は何々だそうで」などと、要求とも催促とも不満とも受け取れるような、些細なことを言ってくる場合がある(教員にとっては些細なことでも、親にとっては違う)。


鋭敏な教員なら、親の本音を見抜いて対処する。どう対処するのか。
具体的には、言い分を認めて謝ることである。謝っておけばいいものを、つい反論する。
これがよくない



親と議論してもはじまらない。親は、教員が形だけでも「謝る」ことを期待しているのである。
我が子の担任が、親である自分に対して、頭を下げたという事実が大切なのである。そこにカタルシスが生まれ、一種の優越感が生まれ、喜びが生まれる。意識下の「甘え」を充足されたことによる精神の高揚が生まれる。

「謝罪」は、お調子者の政治屋や、マスコミ人、三流テレビドラマ風のニュースショウ司会者その他云々の特権ではないのである。


こんな身近にも、謝罪要求はあるのである。そうしてみると、私達の風土は、つくづく、人が人に対して謝ることを欲している。自分が謝ることも、他人が謝るのを見ることも、大好きなのである。