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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

教員が教育の中心者である。粗末教科書でも、何とかなる。


学校で使う教科書は、日本人のモノの考え方に大きな影響があると言う。
そうだろうか。

日本の伝統文化や諸外国への対し方に差が出る。日本人としての誇りを培うのか、逆に日本国を貶めるような考え方の国民になってしまうのか。
教科書に、何がどのように書かれているかによって決まると言う。
はたしてそうか。


実のところは、教科書なんてどうだっていい。もちろん、表向き、教員は、教科書を使って授業する。
教科書の内容を尊重するふりはできる。


しかし、実際には、教科書よりも、教員と児童生徒学生との人間関係のほうが、よほど大きな影響力がある。

たとえば、教員が、日本史の教科書の表現に疑義をはさめば、その教員が、児童生徒学生と、学問的に深くつながっていればいるほど、教科書よりも、教員の言説を信じる。

だから、教員が教育の中心なのである。教員の教養や体験をもとにした指導は、ほとんど、教科書の記述を無効にするくらいの力がある。

教員にも子供にも親にも、日本の教科書はおかしいという意識を持つ人が多い。
特に、社会科や国語科の教科書は、日本の伝統文化を否定し、歴史を歪曲する内容が散見される。
その教科書を使って、大所高所から判断し、授業を構成するのは、教員の役目である。

こう言うと、いかにも、教員の恣意的な指導が行われて、危険なようだが、そうではない。
一方的なイデオロギーに凝り固まった教員には、子供はついてこない。

子供は大人が考えるより、ずっと大人である。真偽を見抜く力がある。
とはいっても、子供は、子供である。教員に簡単にだまされてしまうようなこともあるだろう。

だから、教育の眼目は、子供に自分で考え判断する力をつけることである。批判的な読み方や、思考を鍛えるための学習力を育てることが、教員の役目である。
教員の言説を無批判に信じ込ませることではない。

この点については、また書く。