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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

学校内の人間関係で悩む教員。

paru 2

どの社会でも、人間関係は難しい。
子ども相手の仕事である学校教員も、同僚や委員会筋その他の人間模様の中にある。

学校は、行事等で、多人数が一度に同じことをすることがある。
実際には、「たいしたこと」はないのだが、それを「たいしたこと」と考える人間がいると、大したことになってしまう。
これを「無駄」と言う。

だが、根が真面目な(あるいは真面目だとアピールすることの好きな)人間が多い職場だけに、無駄を無駄と考えることができない。
とことん、やらせていただく、というポーズをとる。
親も子も、教員のそのポーズに慣れてしまって、教員は召使と同列だと考えるようになる。
たまに、「普通」の対応をとるような「普通」の教員が現れると、ぎょっとする。

逆上して、「この野郎、教員のくせして、頭が高いぞ。我々は、児童生徒様、その保護者様だということが、わからんのか」と叫んだりする。
笑止な。

怪訝なのは、ここまで教員は嘲(あざけ)られても、にもかかわらず、馬鹿真面目を押し通すことである。
これは、「立派」ではない、「融通が利かない」のである。

教員は、気が細かく、頭が固く、面白みのない人間が多い。

この連中に囲まれていると、息が詰まる、またはうんざりする、とある人が述懐していた。

で、何が言いたいのか。
教員よ、びくつかずに開き直れ、と言いたいのだ。
親やその子どもを変えるのは、教員しかない。もちろん彼らの能力や生き方を、変えてやる必要なんかない、大きなお世話だろう。
第一、それを変える力が、教員にあるとも思えない。
ここで言う「変える」とは、児童生徒の学校内での行動についてのみ、変えることが可能なのである。学校外のことは親の領分だろう。
ご立派な「保護者様」であるならば、自分の「お子様」には、さぞかし、きちんと躾をしていることだろうから。

学校内では、教員は、もっと度胸と学力とをもって、自信にあふれて授業を進めてほしいのである。それ以外は、雑事であり、無駄と心得て、笑い飛ばすくらいの余裕がほしいものである。