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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

学校に過大な期待は禁物だ。学校は安い家庭教師である。


教育はもともと、私的なものでした。
家庭に代わって、国が、専業の教員を雇って、何十人かの子供を集めて、一定の場所で一定の時間、教えるようになったことが、学校の始まりです。
つまり、教員は家庭教師の格安バージョンです。

学校の先生は、親や子供が、自分で選んだのではありません。あてがい扶持です。
親は、百人が百人好き勝手なことを言えます。要求や攻撃、中傷誹謗、憤懣憤激、自由自在です。まあ、これも仕方がありません。いわれて当然のことも多々あります。お互い様です。

しかし、そうであるなら、あんまり公教育へたくさん要求するのもいかがでしょうか。百円の雑貨に、高級ブランド品と同じような品質を求めるようなものです。
確かに、それは両方とも赤いサンダルです。でも、一つは百円、もう一つは7万円です。一緒くたにはできません。

画一化と効率化を狙って作られたものと、各家庭の私的なものとを、大きな違いがあるのに、前者に過大な期待をかけるのは、無謀というより、わがままであり、よくばりなことです。

学校教育では、できること、あるいはやるべきことをはっきりさせ、それをしっかりと行えばいい。というより、それしか出来ないはずで、無用に大きなことに手を出すと、自分で自分の首を絞めることになるでしょう。

余計なこと、無駄なこと、できそうもないことなどは、最初から手を出してほしくないですね。他人の子供を勝手にいじるな、と言いたい。
どうせ、とことん、いじれるわけもありません。なんと言って
も、子供を育てるのは、親ですから。教員ごときに、それだけの知見と経験とはありません。

公立学校ごときが、「生きる力」だって? 
何様のつもりでしょうか。礼拝でもするのでしょうか。イラクやシリアや北朝鮮にキャンプを張って、野外学習活動や総合学習に、取り組む気でしょうか。

文科省は、「開かれた学校」だの、「安心安全自信」だの、よくもまあ、あとからあとから、無意味で空虚なキャッチコピーを考え付くものです。

学校は読み書きそろばんをしていればよろしい。それ以外は大きなお世話です。第一、それ以外に何かができるような実力と環境とを持っているのでしょうか。
ないくせに、いきがってみせる。

読み書き算盤すらも、決して満足の行くところまで教え込むことはできません。子供の状態と教員の実力とを考え合わせれば、すぐわかることです。
にもかかわらず、文科省と学校は、まだ余計なことを、子供たちに、あれこれやらせようとします。
つくづく困った人たちです。