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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

子供は競争が大好き。勝ち負けがあるから進歩がある。

競争が大好き


日本では、国の存続や安全に対する過度の信頼がある。信頼の上に生活が成り立っている。
信頼が日本人の基本の人生観だ。なぜだかは分からないが、個人の能力に対しての要求がそれほどシビアにならない傾向がある。

聖徳太子が「和を以て尊しとなす」と言ったのは、日本は、一か所に定住して農耕を営む地域限定型社会だから、和が重要だ、ということである。
一方、大陸の移動型社会では、和は必要ない。実力優先の競争社会である。和が入り込む余地はない。一時的な和のようなものができたとしても、利益が共有できる場合だけで、愛想笑いの仮面の下で敵意が剥き出しである。
嫌なことではあるが、これが現実である。
ひとり日本だけが、みんな一緒の仲良しごっこが大好きで、戦うことが嫌である。国際社会の競争に勝てるわけがない。もちろん、外国なんぞに勝ち続ける必要もないが、国家の独立と民族の存続だけは、守っていかなければならない。

不景気が続いたので、「競争」にも、私たちはかなり慣れてきた。
能力主義」が見直され、一応、歓迎されるようにはなってきた。
しかし、日本の国民感情は競争を好まないところにある。教育現場では「みんなで仲良く、みんなで一緒に」の意識が、固い根のように張ってしまっている。
はたして、日本の社会で、競争原理の「能力主義」が可能だろうか。

諸外国の学校教育では、「競争」を、日本ほどには、嫌っていない。
むしろ、望ましいこととしている。競争のための努力は、善であり、進歩の原動力と考えられている。

実際には、日本の子どもも、競争が大好きだ。努力して、自分なりの結果を出す。これは、自然な感情だろう。
競争には1番があれば、2番手3番手があり、当然勝ち負けがある。だからいけない、と自称、「平和主義者」「平等主義者」らは、おっしゃる。
しかしながら、この手の発言には気をつけなければならない。どこか、嘘があるからだ。自分だけ、高みの見物と決め込むいい加減さがあるからだ。

競争、大いにけっこうである。
競争なくして技術の進歩はない。競争なくして、学問の進歩はない。
能力主義」と「競争主義」とは、双子の兄弟である。

子供は、運動でも勉強でも、競争としてとらえているし、その結果を素直に受け入れる。
勝ち負けに「傷つく」のは、当事者の子供ではない。実は大人たちである。