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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

教員の実力が、どのくらいあるのか。荒れる学校は理由がある。


小学校教員のほとんどは、学級担任だから、教員の実力が、すぐに子どもに反映される。
それを嫌って、組合系の教員達は、ソ連コルホーズソホーズを見習って、団結だ、みんなで育てるのだ、話し合いだ、協調だ、と声高に叫んで、数少ない優秀な教員の足を引っ張った。
もちろん教育委員会も(元々自分たちが組合系だけに)、同じように、突出した教員の頭を押さえつけた。
教育事務所の経験不足の指導主事にとって、
優れた教員は「指導」がしにくく、苦手である。研究会でも、教員に論破されて、陰で恨んだ。恨みは人事で仕返しした。

「みんなで、仲良く、助け合って、思いやり」という、共産国が聞いたら泣いて喜びそうなキャッチフレーズが、何十年来、公教育の現場を支配した。

さて、中学校の教員は、がんばっている人とそうでない人との落差が大きすぎる。
しかし、頑張ればいいというものでもない。

現在十分な教養、指導力、授業構成力がないとしても、だからガンバレではない。

教員として授業力・指導力が不足するのなら、どれほどがんばっても無駄である。
外科医を考えよ。執刀技術の未熟な者が、胸部大動脈瘤の緊急手術を失敗した。「で も、ぼく、がんばりました」ですませられると思うか。
むしろ、優秀な技術を持つ医師の、淡々とした手術で、その患者の命を救ったほうがいい。手術中の鼻歌も構わない。

「子どもに学力をつけなければならない」という熱があるかどうか、それを現実の授業で工夫し続けているかが、問題なのだ。続ければ、少しは上手くなるだろう。子どもに学力を多少なりともつけることができるのではないか。

中学教員が自身に甘えやすくなり、授業がいい加減になる原因は、
第一に、中学校では、「教科担任制」なので、教科の中に逃げ込める利点があるからだ。
英語の教員の授業がどんなに下手でも、音楽の教員が、英語教員に文句を言うようなことはない。
理科の教員に向かって、体育の教員が、「もっとまともな授業をやらんかい」と叱咤することは、まずないだろう。親も、美術の教員に向かって、「お前の数学力がどうのこうの」とは、言わないだろう。

ところが、小学校ではあり得る。大いにあり得る。日常茶飯事である。
というのも、小学校教員は、何でも屋であることを義務でづけられている。
男女を問わず、採用試験にピアノの実技があり、歌わされ、平泳ぎクロールまでやらされる。鉄棒や100メートル走をさせるところもある。教科の知識は一般常識に加えて、英数国理社家庭科音楽図工体育等々まんべんなく必要だ。

幼稚園教諭から大学院教員の採用試験にいたるまで、これほど、多数科目を課されることは、小学校教員採用試験意外にはない。スーパーマンも顔負けである


幸運なことに、小学校教員は、実際のところスーパーマンが多いし、そうであることを期待されている。まことに恐ろしい職業である。

第二に、中学校教員は授業に多くの人の監視の目が行き届かない。
お山の大将である。
実はこれが、小学校に比べて中学校に政治活動に熱心な組合員が多い理由の一つである。
この傾向は高校になるともっと顕著で、教員組合に入らずば人間にあらず、という扱いを受ける。非組合員は同僚から影に日向に意地悪をされる。
韓国シナ朝鮮ソ連の同志達に、親愛なる情を持っていないような不届きな教師は、たちまち学校から追い出された。

ついでに言えば、高校教員は実力以上にプライドを持っている。たまたま、高校に採用されたのに、義務教育とは違うんだ、と言う意識ばかりが先行する。
その授業の下手くそなことは、中学校教員に負けないくらいである。
下には下がいるもので、高校教員よりもっとひどい授業をする輩がいる。いわずもがな「大学教員」である。
授業は、やはり小学校教員がうまい人が多い。うまくなければ、学級をまとめることができない。
子どもの興味関心を引きながら、学問の基礎を無理なく教えて、知的なものへの憧憬を育て、よりいっそう高い段階へと引き上げる。こんな授業は、芸術ともいえるだろう。
あなたが、小学生の時、そんな授業を体験したのかどうか。またはあなたが教員なら、そんな授業ができるかどうか、は知らない。だが、実際にそんな授業をする教員が存在することは事実だ。

第三に、中学教員にとって、自分の学力や授業技術の向上を、無視してもやっていけるのは、「生活指導」という「強い味方」があるからである。
中学生を持つ親は、我が子に手を焼いている。世間も、中学生は難しい時期だ思っている。だから「生活指導で忙しい」という逃げ口上は、けっこう使える手である。

その定説に乗っかっていさえすれば、並か並以下の授業をしていても、世間や同僚や親をごまかせる。
しかし、クラスの子どもはごまかせない。子どもは、教員の実力をはっきりと見破る。だから、中学が荒れる。荒れるはずである。その学校の教員の実力を見ればわかるだろう。