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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

子供は学ぶことが大好き? 勉強の邪魔を、学校がする。

小学校の授業


子どもは、学校で毎日勉強している。
何を勉強しているかというと、国語や算数やその他の教科などである。
教科を学ぶことばかりではない。掃除の仕方とか、給食の食べ方なども、勉強の一種と考えてよいだろう。この意味での勉強も、日本の学校は熱心である。しかし、学校での主な勉強が、教科学習であることには、間違いはないだろう。


小学校では、平成28年末現在、国語、社会、算数、理科、生活、音楽、図画工作、家庭、体育の9教科と道徳、ついでに外国語活動、総合的な学習の時間、特別活動となる。


教科は、体系的な知識であって、学問である。
「学問」は、「基礎から積み重ねられた、体系的な専門知識」である。「学問する」とは「今まで知らなかった知識を教わり覚えること」である。

算数で四則計算ができるようになったり、図形の名前を知ったり、その図形が作図できたり、国語で漢字を覚えたり、読みやすい文章を書けるようになったりすることが、学問することでもある。

このような意味での学問をすることが、人間の幸福とどのように関係するかということは、簡単に答えが出せない。
人間はだれでも「幸福になりたい、幸福に暮らしたい」と願っている。それが人生の目的といってもよいだろう。しかし、幸福とは何かとなると、なかなか難し い。お金がたくさんあることとか、社会的な地位があること、容貌や健康に恵まれること、趣味に生きるとか、家族に囲まれて、安定した生活を送るとか、名誉が与えられること、衣食住が満たされていることなどが、「幸福な人生」の分かりやすい説明であろう。

そのことと、学問はどうつながるのか。
学問は、もともと人生の幸福と密接につながっていた。学問することによって幸福にならなければ、学問をする意味がなかった。
人はどう生きるのが幸せなのか。その答えを教えてくれるものが、学問だった。
人間はどう生きればよいのか、幸福な人生とはどんなものなのか、という素直な問いが、学習意欲になった。
それでは、学問は幸福を見つけるための手段であるかというと、そうとばかりは言えないようだ。学問そのものの中に、楽しみがあり、喜びがある、と答える人もいる。

子供は、学ぶことそれ自体が嬉しい。
これは大人の都合のよい解釈ではない。嘘だと思うなら、子供に問うて見るがいい。
知らないことを知ること、できなかった計算ができるようになったこと、漢字が読めるように、書けるようになったこと。これが喜びでなくして、何だろうか。


学ぶことそのものが好き、というのが子供の本質であるなら、学校教員は、子供の持って生まれた学習意欲をうまく伸ばして行きたいものである。