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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

英語公用語化。日本人を捨させる、と文科省、政権のたくらみ。


大量の本は、良書を一般の読者から隠すためにある。
著者が生きている限りその本を読まない、と言う読書家がいる。
著者の死後50年を経ても今なお、読むべき価値のある本と認められているものしか読まない、と話す好事家もいる。

人は古典さえ読んでいれば、今風の堕本に、惑わされずにすむだろう。一瞥して、その本の価値がいかほどかを、見抜くだろう。
だからこそ、読書の楽しみは、古典にある。

こんなことをいうのは、他でもない。
言葉の習得、言語操作の訓練期間として、小学校教育は特別な意味を持つ。母語が確立される10歳前後までの国語教育が人間の思考の原型をつくる。

小学校では、日本の古典を叩き込むのが当然なのに、国語の時間に出鱈目なことをやっている。お粗末な、できの悪い、薄っぺらな教科書を使って、お茶を濁している。
しかも、文科省は「英語」を押し付ける時間を増やそうという魂胆で、すでに、「帯時間」や特別枠などで英語を増やした。国語や算数の時間を圧迫しているのに、まだ足りないと見えて、ますます「英語教育」に力を入れるのだそうである。

亡国を通り越して、国賊の所業である。政府、文科省は、国語を蔑視し英語を持ち上げることで、無国籍の、「グローバル」で、ひ弱で、シナやアメリカに同化されやすい日本人を作ろうと、必死のようである。