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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

不登校の原因はいじめである。教員は学級を制御不能で、無法状態。


不登校という現象は、かつてあったし、今もあるし、これからもあるだろう。
不登校の児童生徒がいた場合(学生の場合は、これは怠学と判断される。すでに18歳過ぎである。自分で責任をとるがいい)、以前までは妙に学校が恐縮して、さも申し訳なさそうな態度をとった。


事実として、中学校では、学校側にも責任があることが多かった。指導法を変えれば、かなり不登校は防げたはずである。教員は、学級内でのいじめを見て見ぬふりをした。授業妨害された腹いせに、生徒を憎んで、ついでに、他の生徒までも憎むようになった。問題行動の生徒に対処する教育技術を持たないことも原因である。
一方、小学校の場合は、教員や大人が優しすぎる、あるいは世話を焼きすぎることが多かった。


不登校の原因は、いじめ以外には、子供にとって家庭の方が学校よりも安楽であることだ。嫌いな勉強をしなくてすむ。漫画やネットに没頭できる。
不登校は長らく子供の不勉強の免罪符だったが、近年、若干不利になってきた。不登校の子供の甘えを、世間が許してくれれば、子供には有利である。世間が甘えを許さなくなると、不登校児には厳しい環境となる。

甘えを許すことができるのは、許す側の大人なり同級生なりに、やはり甘い環境が必要である。
「自分に厳しく他人に優しく」は、理想としてはご立派だが、現実離れしていることは、おわかりだろう。


自分の環境が楽であるから、自分の甘さが許されているから、不登校の児童生徒にも甘くできる。

世間の景気が悪くなると、景気以外のことにまで、気持ちの余裕がなくなってくる。万事について、いわゆる「自己責任」が当たり前になる。
自分の腹が減っていては、他人の腹まで気が回らない。自分の腹が満ちていて、はじめて他人の腹まで気を回すことができる。
いつまでも甘い顔をしていることができない、それどころではなくなる。



もはや学校に行きたくないのなら、それもよし。どうなるかは自分の身をもって体験するといい。
学校ばかりが世間ではない。「不登校のどこが悪い。行きたくないから行かないんだ」と叫んでみたらいい。そして後で後悔するがいい。
それを他人のせいにする。行きたくても行けないんだ、とくる。
嘘である。怠け心で、行きたくないだけである。もっともらしい理屈をつけて、被害者ぶっても、無駄である。
本音は、教員もお見通しである。いや、子供の周りのだれもが知っていて、大目に見ているのである。大目に見すぎると、本気で被害者だと信じかねない。注意が必要である。

不登校児は不登校児の道を選択した。それもまた人生である。学校職員や学級の児童生徒が、不登校児の家の前まで行って、「お願い」して学校へ来ていただくような時代は、もう二度と来ないだろう。

さて、上記は、学校や教員が十分な受け入れ態勢があり、かつ学級や学年運営がうまくいっている場合であり、教員にも相当の指導力があることを前提にして、書いている。
そうでないところは、論の外である。ぺこぺこして反省しつつ教員自ら指導力をつける他はない。なぜなら、学校や教員側に不登校の原因のほとんどがあるかもしれず、それを客観的に証明できる場合が多いからだ。


ただし、力のない教員は多いが、そのために不登校になることはまずない。逆に教員が不登校になるだろう。
むしろ、教員の指導力不足で学級の児童生徒全体をコントロールできなくなる。そのため学級が無法状態となり、児童生徒のいじめが蔓延し、いじめられた児童生徒が不登校になることがある。これが、一番問題である。

ここでも結局は、教員の能力の問題に帰着するのである。