読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

無駄の多い授業。教授効率の悪さが目立つ。

小学校の授業


学校で行われている授業の多くは、運用上、無駄が多すぎる。特に小中学校にその傾向が目立つ。
学校での児童生徒の時間を大切にしていない。教授の効率が悪いのである。
高校は進学校と呼ばれる一部の例外を除いて、やはり非効率である。大学はそもそも授業効率というような段階ではない。ほとんど時間つぶしに等しい。

小学校の低学年から中学年そして高学年へと、学習内容が複雑かつ高度になっていく。それにつれて、授業方法もまた、工夫したものとなり、高度になっていくべきであるが、実際のところは、そうではない。
6年生は、小学校の授業の学習のまとめの学年にもかかわらず、教科の全体像が、担任教員に把握されてないことがある。
教員によって教科への得意不得意はあるだろうが、初等教育で、読み書きそろばんが、大切であることは、国民大部分の共通な常識であろう。国語と算数とが、中心科目である。

教員はだれでも、国語算数の二教科だけは得意であってほしいし、教授力学識ともにある一定レベル以上は持っていてほしいのである。     
また、万が一、教員自身がこの二教科に苦手意識をもっているとしても、それと教授力とは完全に連動しているわけではない。むしろ逆の場合もあり得る。


ショパンコンクールの入賞者ではなくても、子どもにピアノは教えられるし、効果的な指導はできる。その教え子が、リスト国際ピアノコンクールで入賞することだってあり得るだろう。
 
教員の実力は「教えていくら」の世界である。より具体的にいえば、児童生徒の「成績が上がっていくら」、の世界である。目の前の児童生徒の学力をつけることこそが最大の目的である。
そのためには、当然ながら、教員自身の学識や教授力の向上が必要であるし、不断の研鑚が大切である。
教員は学習指導要領の枠内で、独自性と発想とを発揮して、大いに授業に集中してほしい。

しかし、特定の教員の学級が突出すると、他の学級の保護者が騒ぐことがある。
保護者の一部が、嫉妬と焦りのあまり、瑣末な点で当該教員を批判非難をする。これは、教員の授業工夫や学力向上の意欲を、減少させることにもなりかねない。
この点は、注意しておきたい。
もっとも、このように、保護者として気になるくらいに、学力向上を目指して、本気で授業に取り組む教員は滅多にいない。いたとしても、実際に効果を出せる教員はごくごく稀である。

それにしても、教員には、児童生徒の学力を伸ばしてみせる、伸ばさなければならぬという危機感というか、使命感のようなものが必要と思う。
教員自身の向上意欲である。