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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

教員は真面目で小心な働き者である。GHQの落とし子たち。

「問題」な子供たち

当節の子供は、教員をなめきっている。教員への敬意が全然ない。
だって、敬意をもてないような教員ばかりじゃないか、と反論しても無駄である。敬意は先に持つべきもので、相手を見ていたら、生涯、敬意を持てなくなるだろう。
子供が教員への敬意を忘れたのは、親が教員を馬鹿にしきっているからである。

この現象は、大元を探ると、敗戦後のGHQの占領政策や、共産圏の浸透に、日本国民がまんまと乗った結果である。1946年憲法で、世界をリアルに見ないようにさせ、嘘っぱちの平和ごっこの中に押し込んだ。
子供の親世代がすでに、GHQの落とし子である。

親が、教員へ批判的賛同をし、学校への適度な距離感をもたなければ、学校教育は円滑に動かない。子供が親の強い影響下にある初等教育では、特にそうである。

しかも、児童生徒学生諸君は、子供とはいえ、あまりにも未熟である。
あの親の子だもの、無理はない、と嘆いても解決しない。
教員が、うっかり、児童生徒を強い調子で注意(指導)したりすると、親のみならず、子供までもが、マスコミの口真似をする。
「人権を無視した、侵害だ。ココロが傷ついた」とか、叫び出しかねない。
教育委員会と称する教育行政の末端である事務所の職員も、尻馬に乗って神経質に反応する。
「子供の気持ちを大切に。しっかりと配慮するように」ということになる。

笑止である。
誰でも自分が可愛い。もちろんそれでいい。しかし、子や親のわがままを、ここまで真(ま)に受けてどうするのだろう。
指導主事や教育事務所職員、議員、議員と選挙、企業や消費者その他の力関係が、学校を囲んでいる。
選挙民は保護者である。マスコミのお客は保護者である。当然、損得で動く。
学校教育や「教育問題」を、各々の立場で利用したい気持ちは、よくわかる。

しかし、学校は、そっとしておいてやれ。騒いでもろくなことにはならない。騒げば騒ぐほど、不良少年を、これ以上大量生産するだけのことである。
教員は、旧ソ連やシナの工作員でない限り、のびのびと授業に集中させてやればいいのである。教員は呆れるほどまじめな働き者が多い。おだてて、上手に使ってやるがいい。