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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

受験勉強は灰色でなく、むしろ真っ暗闇であってほしい。

高校教員

paru 2


勉強する、学習する、学ぶ、どう言ってもよいが、学問の基本は読み書き算盤である。


古人もいうように倦まず怠らず弛まず、続けて学習し続けることが大切だ。

ところで、近ごろの子供は、答えはすぐ出るものだと考えている節がある。
簡単に手の届く知識にしか興味を感じないらしい。


昔の子供も、答えを早く出そうという気持ちは同じだった。しかし、ある種のことには長い時間がかかることを体験上知っていた。

現代の子供は、すぐに答えが分かることには、反応が速くなったが、
考え続けなければ解決できないものは、遠ざけて、難問を避けようとする。
考えるための静寂に耐えることが、苦手なようである。

例えば、「演算」まがいの問題形式がある。一時期、流行ったもので、問題文の中に数式の約束があって、約束にしたがって解くのである。基礎的な読解力と計算力とがあれば簡単に解けるのに、意外にも苦手とする子が多い。
授業で習ったパターン以外の問題は極端に正答率が悪くなる。これは以前にはなかったことだ。


玩具は分解したいという気がおこるものだが、ファミコン、PC、スマートフォンにはその気はおこらない。分解したって何がなんだかわからないことを、すでに子供自身が気づいている。


演算問題も同じことだ、とは言わないが、似ていることは事実だろう。
簡単に結果が出る問題以外は難問だということになるらしい。少しの手間ですぐわかることなのに、待つことができない。答えをすぐに見つけたがる。
 

新しい課題が出たときに、その問題の基本の考え方を身につけていれば、原則から考えてどんな応用もできるはずである。そう考えると、受験競争も案外に大したことではないかもしれない。

近ごろは、高校生は灰色の青春を送っている、という人は少なくなった。あれしきの勉強で灰色ならば、フランスの高校生は真っ黒を通り越している。


少しばかりの勉強しているのは、日本人の子どもばかりではない。
日本の子どもはよく勉強する、勉強しすぎだ、という意見がときどきあるが、本当にそうだろうか。

日本のような天然資源の少ない国では、豊富な資源は「人材」だけであろう。技術立国であることは、万人承知のことである。そんな国で、子どもが勉強しなくなったらどうする。

勉強、勉強、勉強でよいのである。どうせそんなには、しやしない。
十代が机にかじりつくばっかりなわけがない。それを大人が先取りして、勉強し過ぎだ、遊びが少なすぎるなどといっていると、子どもが本気にする恐れがある。
 

ピアノは忍耐強い運指訓練が必要だ。学習も同じことである。