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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

6年生の担任を大切にすると得をする。

小学校教員


小学校の高学年の担任の影響は大きい。

小学校教育の6年間のうち、6年生の時期だけが重要というわけでは、もちろんない。
しかし、特に6年が大切なのは、前学年までどんなにひどい状況であっても、6年生の担任によっては、立ち直らせることできるからである(その逆もあり得る。最後の6年で、担任次第で、児童自身が落ち込んでいく場合もある)。

物事は入り口と出口が特に大切だ。入り口である小学校1年生の担任の責任は重く、それだけに教育力が必要だ。
それなら、小学校の出口である6年生という時期の学級担任もそうではないか。
ところが、これがけっこういい加減なのである。
高学年はしんどいから嫌だと言う教員が多いために、大切なはずの高学年が空洞化し、高学年担任を引き受けてくれさえすれば、だれにでも、やっていただこう、と言うことになりがちなのだ。

なぜ6年の学級担任がしんどいかといえば、親の目が、他の学年に比べて一段と厳しくなる。教える内容も格段に高度化する。しかも、音楽や家庭科が、現場によっては、専科教員に任せることがあるとはいえ、ほとんどの教科を、学級担任がひとりで教えるわけだ。教員に相当の教養や学力がなければ、不可能である。授業準備だけでも大変である。

子どもも、6年生ともなれば、ただ可愛いと言ってすませるわけにはいかない。批判力も判断力も表現力も体力も、かなりある。そんな子どもを40人近く指導するのである。並の力ではとうていできない。

新任の教員に5年生を受け持たせて、そのまま持ち上がりのようなかたちで6年生まで受け持たせるケースが多いが、これなども考えられないくらい無茶なこと なのである。
新米の医師に、聴神経腫瘍の除去手術を担当させるようなものである。下手をすると取り返しのつかないダメージを与えることになる。
今はともかく以前までは、5年生から6年生まで持ち上がりが通常だったから、その被害は目も当てられなかった。高学年2年間の無駄はあまりの惨状である。
どうせ小学生だからごまかせるだろうというのは、子供のみならず、教育そのものを馬鹿にしている。
学校での時間の重さが全然わかっていない。

もし仮に、その教員がよほど優秀だったとしても、子どもには他の教員に受け持ってもらう権利がある(せめてチャンスはあるはずだ)。
どんなに長くても一年で担任を替えるのが正常なのである。いや、半年でも、3ヶ月でもよいくらいである。

学級担任の重要性を考えるとき、親たちは、担任の住居の方向へ足を向けて眠れないはずである。
と言いたいところだが、現実はそうではない。というのも、担任教員の実際の力は、正当に評価されていないからだ。

優秀な担任教員は少ないのだから、現実の我が子とは無関係の存在だから、といって、教員全体をバカにしたり、信頼しなかったりする。これは危険な傾向だ。ごく少数の素晴らしい価値あるダイヤを、逃すことになるかもしれない。
ほとんどの親は、学校の担任よりも、身銭を切って子どもを通わせている学習塾の講師の方を信頼する。それもまた人情である。

ただより高いものはないという。
ただである公立学校の、その教員を馬鹿すると、そのしっぺ返しは、実力のつかない無為な小学校6年間という報いである。それは、子供の一生を、必ず左右することになる。