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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

担任の当たり外れは、子供の将来を左右する。「能書き」より「学力」をつけなさい。

小学校教員

教員と保護者との関係が、良いとか悪いとかいう。
どういうことか。

親は、自分の子どもが立派に育つことを願っている。立派に育つように学校の教員が指導してくれれば、親は喜ぶ。これが、学校と親とがうまくいっている状態だ。

だが、現実はそう簡単ではない。
子どもが順調に育っていても、教員の力だと考えない親もいる。
それどころか、もっと育つはずなのに、教員が邪魔をしていると考える親もいる。

教員によって、子どもの成長に影響があるのは、もちろんである。だから、子どもの成長が芳しくないのは、教員に原因があるのも事実である。よい教員に会えたら幸せ、そうでなければ、これは損である。


しかし、不公平はこの世の常だ。当たり外れは、どんなことにも必ずある。担任の外れは、損失であり、悪影響があるけれども、こればかりは、嘆いても仕方がない。運が悪かった。
他人事のように書いたが、親としては納得できないこともあるだろう。                     

小学6年生の場合、担任によって、中学受験の合否が変わってくる場合がある。子どもが、中学受験をするかどうかに迷っているときに、担任の考え方が大きく影響する場合もある。
そんな馬鹿な、と言いたいだろう。低学年から、学習塾に通わせて、家庭教師までつけて準備させた。6年の時の担任によって、何かが変わってたまるか、と言いたいだろう。

残念でした。準備をどんなにしたって、6年の担任の影響は侮れない。
影響には大小があるのは当然で、当り教員からは益を大きく受け、外れ教員からは、そもそも外れなんだから、影響なんて受けやしない。と言いたいが、それが大きな損失を受けるのである。


担任の影響は、一般的にはよい方向より、悪い方向へ向かって、出てくる。その逆は、まれである。
なぜ、まれかと言えば、担任の能力が十分とは言えないからである。どうせ、無能なら、子どもをいじってもらわない方がいいのである。


ところが、学校では、子どもは教員の「指導」の下にあるので、くだらない「活動」や「授業」を無視して、さっさと帰宅するわけにはいかないところが、児童生徒の哀れさである。

解決策はない。

不公平は、現実生活の掟でもある。

 しかし、あなたが、教員ならば、解決は簡単だ。
親は、我が子に学力がつくことを一番望んでいる。だったら、学力をつけてやればいいのである。

それが、あなたにできるかどうかは別問題である。

 
学力をつけた上で、なお余力があれば、「生きる力」なり「ゆとり」なり「総合」なり、何とでも能書きつけて、勝手に踊ればいいだろう。