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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

簡単に合格する名門私立中学校。

中学入試


中学と高校とがワンセットで、しかもいわゆる有名大学に多くの合格者を出す学校。これが小学生(むしろ、その親)のあこがれのマト、中高一貫教育の名門私立中学である。受かるにはそれなりの学力が必要だ。

以前は、学級の中で、「よくできる子ども」が受験した。それでも、少々では受からなかったし、受かる子どもは、他人から見ても相当に優秀だった。
ところが今は、簡単に受かる。「えっ、あの子もこの子も受かったの」というあんばいに受かる。

これはどうしたことだろうか。都会でも地方でも、難関私立中学が、意外にも簡単に受かってしまうのである。

これには理由がある。
第一に、子どもが少なくなった。
だから、競争率も低くなった。高くなったのは見かけ上で、猫も杓子も受験して、ただ受験者数が増えただけなので、もとより、一応の勉強をしている子どもにとっては、恐るるに足らない相手である。

第二に、学習塾が、洗練されてきた。
私立中学と学習塾は兄弟のごとくに助け合う。塾にとって、私立中学の存在は商売上の存続のために必要だ。
私立中学にとっても、塾で鍛えられてきた子どもは、公立小学校で十分に教えていない内容を、すでに「履修」済みである。勉強癖もついているし、テストをこなす手際のよさと主要教科の基礎知識とを、習得済みである。中学入学後の指導が段違いに楽になる。

だから、小学生の時から塾通いの子どもが望ましい。親も、毎月の塾の高い月謝を払い慣れている。教育には金がかかることを、親子ともに骨身にしみているので、どんどん金を出す。私立中学にとって、扱いやすいお客様だ。

学習塾への投資は、驚くばかり高額ではあるが、嘘か真か、塾での学習が、受験当日に素晴らしく役に立つ。ドンぴしゃりである。これでは、誰もが塾へ行く。
逆に、優秀であっても、塾に行ってない子は、以前よりも、受かりにくくなった(受かるのが不可能に近い)。今や合格通知は、ある意味で、金(塾の月謝)で買うものとなったのである。

第三には、子どもが勉強しなくなった。全体的な水準は、どんどん落ちてきている。
小学5年6年の2年間、小学校でそこそこの授業を受けていれば、6年生後半の6ヶ月間の受験準備で、ほとんどの私立中学は受かる。
6ヶ月の準備とは、志望校を決めたら、過去の入試問題や、教科の内容を簡潔にまとめた問題集等で、集中的に学習することである。
さほど勉強もせず、塾にいる時間だけがやたら長いような子が、競争相手である。子供の本気を出させるように励まして、うまくもっていけば、学習塾など行かせなくても、受かるものである。

ところが、学校だけの勉強では、ダメで、塾に行かなければならない。その理由はおわかりだろう。
公立の小学校のほとんどは、「勉強」させない。無駄としか言いようのない時間つぶしを平気でする。
運よく、学習熱心な「当たり教員」のクラスに入れるか、そうでなければ学習塾に通いつめるか、天才児以外は、どちらかの道を選ぶしかない。

ともかく、家庭の方針次第で、簡単に受かるからこそ、「ひょっとしてうちの子も」と、多くの親が、子どもを受験させる。その結果、受験生がどんどん増える。学習塾は、お客さん万来で笑いが止まらない。

そんな程度の受験生が多く受けたところで、全体的な受験生のレベルがあがっているわけでは、もちろんない。だからこそ、少しできる子どもが、優秀な担任教員と出会い、なおかつ、塾で練習していれば、なーんだ、という感じで、受かってしまう。

受験競争だとか、厳しい受験だとかは、マスコミの流した大嘘である。実際は、基本の学習内容を習得済みならば、誰でも行けるというのが、名門中学なのである。

付記
それでも、私の子どもは落ちてしまった、これはどういうわけだ、という人もいるだろう。
それは運である。
我が子はがんばった。それで十分ではないか。誉めてやれ。
所詮、入学試験は、一種のゲームである。ゲームは勝つこともあれば、負けることもある。勝てば喜んで、負ければ笑ってすませればいいのである。真剣に勉強したことは、決して無駄にはならない。それどころか、大きな財産になる。とすれば、入学試験は、教育訓練のみならず人生経験の場となりえたのだ。月謝や受験料は、塾や私立学校に、くれてやればいいだろう。