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ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ (サブ倉庫)

匿名の意見に振り回される学校現場、再び。

paru 2

たとえば、ある学校に、保護者と名乗る人物から、教員に対しての注文または非難の電話があったとしよう。

校長は、教員に対しての教育活動上の意見を外部から受け取ったとき、その内容をすぐに教員に伝えるかどうかは、事実関係と当該教員とが確定できないう ちは、十分考慮する必要がある。
意見を言ってきた人物が誰であるかはっきりしない場合、その意見の信憑性はないと考えられる。それは単なる不満の一つとして表されたと見るべきであり、その度に教員に伝えていては、混乱が生じる場合がある。

ところが、ほとんどの校長は、自分で責任を背負うのは嫌である。当該学年や教科部にすぐに伝えてくることが多い。外向けには、あの学校の校長は対応が早い、というポーズをつけるわけである。ところが、これが大きな間違いの元で、匿名の意見を言った者は、愉快とばかりに図に乗ってくる。
匿名ならば、 何でも言える、学校は何でもする、というようなまちがった「常識」が、親の間に広まってしまう。これは、教員の「蚤の心臓」に微妙に影響し、溌剌とした授業を阻害しかねない。

職業人は、通常その仕事に対してのある一定の型がある。教員も例外ではない。この「型」は、日々安定した教育術を実行しなければならない必要性からくるものであって、マンネリとはやや違う。
型は安定していると同時に、日々の自己研鑽でより効果的に変化させなければならない。であるから、それに対しての親が賛同的な意見を伝えるならば、教員はいっそう勇気づけられて教育活動も安定したものになる。

ところが、匿名の否定的な意見である場合、それを教員に一般的に(つまりどの教員に、どの父兄から、という情報がはっきりしないままで)伝えることは、その益よりもむしろ損失の方が多い。効果的教育を行ってきた教員までもが、匿名意見のとばっちりで、自らの教育観や方法を自己反省のあまりに投げ出してしまう傾向になる。
まじめで熱心な教員ほど、子どもや親の反応を大切にするので、継続してきた学習方法を、変更したり、中止する可能性がある。
少々では自己の信念を曲げない、などといえば、立派な人物のように喧伝されるが、とんでもないことで、現場を知らない人間の言うことである。
現場は常に一歩先が闇の綱渡りである。自己反省と自己研鑽の固まりが教員である。

さて、情報を自分だけで保存するというのは快楽でもあるが苦痛でもある。その苦痛に耐えることが、校長や教育委員会職員筋には、必要なのであるが、実際には、自分に得になる情報は大切に扱うが、それ以外の情報はいとも簡単に公開する。

校長を指導監督する立場にある「教育委員会」は、校長のリーダーシップを、即席で向上させようとして、様々な方策を実施している。
だが、性急で軽はずみな策動は、慎んだ方がいい。人材不足であるということが、まったくわかっていない。

人は育てるものでもある。だが、育つべき種は、あまりに少ないという現実を知らなければならない。
立場がその人を育てるという。それはそうだろう。だが、立場のみの人があまりに多い。
あなたも、ご自分の周りを考えてみれば、すぐにお気づきになる通りである。