ぱるるの教育批評

教育、受験、学校その他あれこれ

教育ビジネス

筑波大学附属高校、入試近づく。秋篠宮家と国民の皇室離れ。

散歩のついでに、知人来りて、酒を飲みつつ、嘆いて曰く。 秋篠宮家の長男が、筑波大学附属高校へ受験するそうだ。なかなか優秀じゃないか。しかし、よもや裏口入学に等しい方法で入りこもうとするなんてことはないだろうな。だとしたら、トンデモないことで…

授業で嘘八百、アクティブ・ラーニング。コロナ以後?

アクティブ・ラーニングが、大げさに喧伝されたが、コロナごっこの影響で、あっという間に消え去った。とはいえ、関連グッズとしての書籍や言説を、すでに売った後だったので、関係者は、収益にご満悦で、あとは知らんぷりである。いつもの教育ブーム商売を…

アカポスは美味しすぎる、大学教員は暇人、遊び人、授業料盗り、の別名。

近所の大学は、多くの大学の例にもれずに、相変わらずコロナ閉校を決め込んで、閑古鳥である。そのくせ、学生からは普段と変わらず、しっかり授業料を分捕っている。 大学は仕事をとっくに放棄している。それでも、職業としての大学教員に魅力を感じている子…

オンライン授業は楽勝、エロ動画も見放題。人員削減ができるのか。

オンライン授業とやらが始まっている。某学生に感想を聞くと、講義はログインするだけで出席扱いだから、教員の音声はカットして、画面分割でエロ動画を見る。またはデスクトップでゲーム三昧。単位ゲットは楽勝である。ゼミナールは、ズームの出番だが、こ…

休校に伴う保護者の休職に、助成金が必要か。新型肺炎に甘えるのがお好き。

子供が休むから親も休むというのは変なことである。しかし、なにがなんでも子供と過ごしたい、というなら、休むがいい。しかし、休んでいるのに、給料をよこせというのも変な話ではないだろうか。 その金は一体だれが出すのだろう。 税金である。左様、君の…

スポーツが得意な高校生は、低学力でも入試に勝てる。大学は宣伝のためなら、なんでもあり。

大学はどこもかしこも経営難である。 「偏差値が55以下ともなると、大学というよりはレジャーランド、暇つぶし、学士を得るための免許センターのようだ」、入試情報に詳しい人の言である。 馬鹿げた偏差値ごっこは論外として、大学は、高い費用を払ってまで…

教員の「面当て自殺」、マスコミ人のペルソナのごとき。

ある人が言うには。 同期生が、大臣として入閣した。そんなことが何度か続いた。「あんなやつが」と吐き捨てるように、君は言うけれども、まあ、そんなに怒るな。かつての高校の級友は、今の本人ではない。環境が人間を作る。弱い精神にとって、これは事実で…

キャッチの世の中。スター誕生や綺麗ごと。教育は、ひたすら「虚しい」か。

私立学校には、建学の精神というほどのものがある。半ば形骸化して、惰性で続いているだけのような学校も、創立者の理念だの、建学の精神だの、能書きだけは一流である。とすれば、私立学校は、学校ごとに大きな特色があって当然で、ない方がおかしいことに…

高校の授業料が無料なら、大学も授業料タダが筋である。大学教員の精選と意欲ある学生。

教育には、金がかかる。高校の授業料が無料またはそれに類似したものになって、久しい。 現憲法にも、教育の機会均等の名目で「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければ」ならない、とある。だったら、義務教育ではない…

他人から説教される快感。金が解決するわが子の教育、は素敵だ。

つくづく、私たちは、お説教が大好きである。説教するのが好きで、説教されるのも、大好きなのである。 テレビ新聞雑誌、ついには、お手軽の極みである動画共有サイトに至るまで、他人に説教する連中でいっぱいである。 自分が一番詳しいはずの、わが子の教…

新校舎建設ラッシュ。たくさんの学校は不要である。NHKマスコミの宣伝を鵜呑みにして、時流に迎合する。

子供の数は減りつつあるのに、あちらでもこちらでも学校をどんどんつくっている。学校の数が増えているばかりか、既存の学校も、規模を拡大している。競って、校舎の新築増築、新学部学科の増設である。傍から見ていて、気味が悪い。どうせ、ろくな教育も研…

悩む教員と嗤う教育産業。授業は教科書とノートとがあれば足りる。

悩む人は悩むもので、ことさらに仕事を難しくする。これは、半ば習性または性格、あるいは悪癖であろう。国語科の授業は、教科書とチョーク1本で済むものを、やたらとピント外れの予習や準備をする。プリントを多種大量に刷りまくる。自作プリントというら…

教員が疲れない授業。教室で子供を踊らせること。アクティブ・ラーニングなどのキャッチコピー。

おぼろげな記憶によれば、 大学で教員たちが行っているつもりになっている「講義」「ゼミナール」と称するモノを、教員自らが、「授業」と呼ぶようになったのは、おそらく慶應義塾が最初ではなかったろうか。福澤諭吉は、真の意味で先生であった。その風姿が…

剽窃、無断引用、盗用が得意な大学教員。良書は、公共図書館の書庫に眠っている。

大学教員はインテリということになっている。しかし日本の大学教員は、教員としての能力がない、または著しく不足している。それなら、研究者としては、通用するのか。理系はともかく、文系は言うも哀れ、語るも涙である。何ら新しい発想がなく、時間つぶし…

内容のない講演会。授業で子供に発表させるときの諸注意。

授業では、子供の発表が流行りである。小中学校で多い。国語や社会科等では、題目はいくらでもある。プリントを自作したり、模造紙に大きく図を描いて示したりする。発表のために、調べたり、資料を作ったりする時間が、一番楽しそうである。 子供に限らず、…

2020年度「大学入学共通テスト」、英語スピーキング入試の大失敗。文科省は子供を苦しめるのがお好き。

文部科学省の間抜けさ加減は、ほとんど冗談の域に達している。文科省職員が省の利益を画策しているのか、文科省退職後の、再就職先の確保を目指しているのか。そのあたりは、想像してくれ。 2020年度の大学入試から、「大学入学共通テスト」とやらが始まる。…

子供が見えている。現場の経験のない哀しさ。大学教員の生き方。

「子供が見えているか」という言葉が、学校現場で一時期流行ったことがある。教員は、実力はなくても言葉だけを先行させたがる。だから先輩面で、何か言わねばならないときに、こんな常套句が便利だったのだろう。映画やテレビ画面ではあるまいに、何が見え…

「いじめ問題」に発言する大学教員。経験がなくても、訳知りにコメントできる。

知人の言によると、某市の小学校の学級で、いじめがあった。その対応の件で、当該学級担任教員及び市教委が、親に謝罪したそうである。それについて、大学教員のG某が、当該教員の指導がどうの、市教委の責任がどうのと、学校現場及び教員関係者に対しての批…

「ゆとり教育万歳」が、今度は「世界トップレベルの学力を目指す」と言い出す。変わり身の速さが自慢。

今は昔、例によって文科省が下手をして、全国の小中学生の学力を下げてしまった。内外からの批判に、文科省役人たちは真っ青になった。大慌てで、「世界トップレベルの学力を目指そう」などと、各県の教育長を集めて話した。自分でやっておいて、とぼけてい…

百ます計算、日本国憲法の暗唱、NHKテレビ戦略、笑う教育産業。

ずいぶん以前に、百マス計算だとかで、テレビが騒いだことがあった。すぐに、新聞雑誌、挙げ句にはこの機に乗じて一儲をねらった出版社まで巻き込んで、もともと昔からあった反復習熟学習を、ことさらに新しい教育方法のように喧伝した。すでに日本全国の学…

少子化大賛成である。日本は人口が多すぎる。学級定員を減らしても無駄である。

ここを見る数少ない人は、もうお気づきだろうが、以前の記事をすべて削除した。文章が、飛んだり跳ねたりで、分かりにくいかもしれない、と考えたからである。少し手直しして、順々に出そうと思う。さて、マスコミや役所らが、少子化がまるでいけないことの…